鎖骨骨折ストーリー 3日目

朝、肩の痛みで4時ごろ起床。やはり寝返りがうてず血流がとまるために起こる鈍痛のようで起床して座っておけば10分程度で収まることが判明。

本日は2回目の通院の日。行ってみて分かったが、入院前の検査と諸々の説明を行うことになっていたようだ。まずは先生から手術について日程と危険性について教えてもらう。日程は聞いていた通り火曜に入院し、水曜手術、木・金で入院し、土曜で退院とのこと。水曜は仕事できそうにないけど、それ以外ならリモート作業でいけそう。先生に「手術したら肩は上がりますか?」と聞いたら、即答で「上がりますよ。」と。

聞いてもないのに、「骨がくっつくまで4週間、競技復帰は3か月後だね」と教えてくれた。なんと素晴らしい先生か。それまではおとなしく育児とZwiftだな。

それからは採血、検尿、レントゲン、心電図をとって擦過傷の措置。擦過傷のところにラップ巻いていたのだが、ラップ巻くと汗と滲出液で過度に蒸してしまうのでワセリンとガーゼだけにしなさいとのこと。すいません。あとは、入院時の説明聞いて終わり。

擦過傷はよくなっている箇所もちらほらあり週末くらいには痛みなくなるかも。腰は相かわらずだが。。。

午後から仕事でいつも通りな感じ。早く手術して~。

帰宅してから嫁の帰宅が遅いので焼きそばを嫁の分含めて作る。わりとこういう作業も可能。左手での食事もうまくなってきた。

お風呂はゆっくりとシャワーを浴びる。水をかけたら痛いのは痛いのだが全然耐えれるくらいで痛痒い感じに感覚が変化してきた。ただ、固定具の影響で両脇ともあせもとかゆみが酷いので今夜は固定具外して寝ることにした。

 

今までに分かったこと。

〇擦過傷には、ワセリンとガーゼのみ。洗えるならお風呂で洗って1日1回は取り替えたほうが良い。

〇肩のコルセットはしなくてもいいが、していたほうが姿勢強制により痛みが少なくなる。

〇着替えは骨折した側の袖から着る。

 

 

 

鎖骨骨折ストーリー 2日目

2日目の朝。肩の痛みで起きる。じわじわと来る鈍痛で、朝4時ごろに起床。おもむろにテーブル上にあったポテチを食べてから痛み止めを流し込む。少し収まってきたのでリビングのソファで二度寝。5時すぎに起床し、今日は早めに会社に行って昨日できなった作業をしなければならないので着替える。なかなか辛いが多少慣れてきた。それでも普段は5分くらいの着替えが15分はかかるが。

腰の痛みは少し収まったが擦過傷の各部位が突っ張っている感じ。6時半には会社につき作業。幸いPC作業はそこまで苦ではなく普段通りにできる。腰の影響で立ったり座ったりが辛い位。肩のコルセットをしているからかしら。同僚の方々には大丈夫か?と声をかけてもらい、ありがたいことです。

午前中に病院から電話があり翌週火曜日の午後に入院し、水曜日手術とのこと。もうちょっと早くしてもらいたかったけど仕様がない。嫁もちょうど産休に入る週なので付き添ってあげるとのこと。申し訳ございません。

仕事しているうちに肩の痛みはあんまり感じられなくなってきて若干でも動かしている方がいいのかもしれない。これから風呂に入って擦過傷部位を洗う修行をしなければならないので、それが嫌で嫌でたまらない。

鎖骨骨折ストーリー 1日目

月曜日の朝、朝4時ごろに痛みではなく空腹で起きる。横になっている体を起こそうとするが、打撲した腰と骨折の影響でほぼ右半身が使えないので意を決して体を起こす。体の下に引いていたバスタオルは多少分泌液で汚れてしまっていた。(宿の人ごめんなさい。)

体はというと右肩は相も変わらずだが、昨日のレースによる筋肉痛と落車によるむち打ち症が混ざっており上半身の節々が痛い。また打撲した腰が酷く起き上がるのも一苦労な状態。こんな中でも帰らないといけないので、ひとまず8時前にレンタカーを返し、空港へ。チェックインしてから会社へ連絡して有給申請。11時半那覇発の飛行機で14時ごろに羽田着。ベイシェラトンまではバスで移動し、そこから相鉄で16時ごろに自宅着。めちゃくちゃ安心した。

移動の最中はシーコンとリュックを持っておりなかなか一苦労だが、もはや壊れた自転車なのであまり気遣うことなく転がしていった。あと、レンタカー会社の人やバス会社の人に骨折してますと伝えて大変申し訳ないが積み降ろしをやってもらいました。ありがとうございます。

17時に自宅近くの整形外科にかかりもろもろ治療してもらう。手術希望と伝えてみたが麻酔科の都合があるので、明後日までには連絡しますねとのこと。対応と治療はすこぶる丁寧で信頼のおける感じの先生でした。海老名近辺の方は、葉梨整形外科おすすめです。

 

 

鎖骨骨折ストーリー 0日目(事故日)

落車の顛末はのちほどのレースレポートするとして、落車後からお話はスタート。

 

落車後は痛みで悶絶。自分以外の何人かも倒れているが酷そうなのは自分ともう一人。横目でバイクを確認するとフレーム自体は大丈夫そうだがリアメカとリアホイールが言っている。COMカーの人が声をかけてくれてレスキューを手配してくれた。

最初の数分は路上から立てず何とか歩道へ移動。この間にもかなりふらふらで貧血と同じような感じ。再度座り込んでここでようやく体を確認する。

手は数か所擦過傷があるがそこまで大きくない。

左腕は肘あたりにそこそこの擦過傷。右脛と左脛にもそこそこの擦過傷。そして腰は歩けるので折れてはないが強く打ち付けた打撲でかなり痛い。最後に右腕。右手は動くが肩が全く動かん!!そして、肩を触ると皮膚内で何か飛び出ている!!

咄嗟にCOMカーで救助に当たってくれている人に「折れてるかも!!」と伝え、レスキューを待つ。救急車が来るまで結構長く20~30分は待ったと思う。救急隊の人に症状確認してもらって県立北部病院へ搬送。(搬送中の救急車が揺れて結構つらかった。)

到着後は先生方に処置。擦過傷の措置、レントゲン、CTを取ってもらった。結果は、、、、右鎖骨の完全骨折、腰から臀部にかけての強い打撲、そして多数の擦過傷。16時ごろにもろもろの処置が終わって解放されたが、ここから大変。服は全て脱がされて病院服だがこれ以外に服はないし単独遠征なので、この服でタクシーで会場まで移動。動かない右腕をかばいながら、何とか服を着て、壊れたバイクを回収し、シーコンに詰め込み、那覇へ移動。当日帰る予定だったので、飛行機を取り直しホテルも取って何とか落ち着いたのが21時ごろ。できる限り遠征は単独じゃない方がいいなと心から思った。

傷の方はというとずきずきは痛むが自分が思っていた骨折の痛みよりはひどくなかった。むしろ擦過傷から出る分泌液でホテルを汚さないか心配だった。

ツール・ド・おきなわ 140 DNF

結果からいいますと、残り46キロ地点で落車し、鎖骨骨折をしました。

初めての骨折が子供が生まれる1月前に起こるとは。
仕事にも穴開けるし、色んな人に迷惑かけるなぁ。

レースレポートはまたあとで。
ひとまず、このブログは鎖骨骨折からの復活を目指すブログとなります。

川崎マリンエンデューロ 3hソロ

毎回書いているが川崎マリンは夏はニセコ前のステップレースとして、秋は沖縄前のステップレースとして丁度いいので今年も参加。

メンツがメンツなので、目標は先頭集団でのゴール。そもそも風邪引いて以降、実走してないし。

今回もノーアップでレッツゴー。5時間に追いついてからリアルスタート。風が強いので、あまり出入りは無いかなと思っていたものの、サンクスサイクルラボとロッポンギが多いせいか割と出入りがあって、着いていったり行かなかったり。1時間半位までは割と平和。高岡さんがいらついている雰囲気をかもしだしていたがやはりチームの動きにご不満だったようす。

1時間半過ぎて、バックストレート後の直角コーナを先頭で引いた直後に有力勢が抜け出す。自分も3番手にいたのだけど、ちょうど上2つのチーム各1名ずつに塞がれて前に出れず。。。

その後は恐らく第2集団で10分ほど過ごしたころ、また集団が中切れで割れる。前が6名ほどなのでジャンプ。1分頑張って追い付いたもののこれでマッチ切れで、2周ほど後にあえなくドロップし第3集団でぬくぬくと過ごし、そのままゴール。
まぁ、ラップされなかったからそこそこくらい。

風邪継続中

月曜日の夜と火曜日の朝がしんどさのMAXだったぽい。ということで火曜日はほんとにほんとのノーライド。水曜日の朝になって鼻水が出てきたので、第二形態に移行したらしい。私の場合は、のど→鼻→咳という順で症状が現れるのですが、今回は移行が早かったなという印象。土日はほぼほぼ回復するかな。

 

で、別件。先週木曜日は年休取得して道志の道の駅まで。日曜日も道志の道の駅まで。まぁ理由はご察しの通り道志で行方不明の女の子を見つけるほんとうにわずかな協力もしたいという気持ちからです。本格的に捜索に協力するわけじゃないし、なんの意味が?という部分もあるけど自己満足の部分も多い。

ひとまずは早く見つかって無事でいてほしい気持ちでいっぱい。道志によく行くチャリダーやバイカーは分かるかもしれないけど、あそこらへんは田舎といっても道志川沿いに歩けば民家とかも見えるし、キャンプ場も多いので遭難しそうな感じじゃないんですけどね。もちろん山の上の方に行ったという可能性もある。

もうとりあえず遭難であろうが誘拐であろうが無事でいてほしいですね